道路上下水道グループ 立花 智子
(平成17年入社)

立花 智子

社員の事情に向き合ってくれる会社で、若手に仕事の楽しさを伝えたい

2005年、転職先としてメトロ設計を選ばれた理由について教えてください。
ひとつは、その前に同業の会社で働いていたからです。同じ業界だったのでメトロ設計のことは知っていて、あまりギャップを感じずに仕事ができるかなと思って応募しました。
もうひとつの理由は、当社と自宅の距離が近く、子育てと仕事の両立ができそうだと感じたことです。当時は子どもが小学生。子どもに急なトラブルが起きても、会社になるべく迷惑をかけずに駆け付けられます。現に、東日本大震災のときは歩いて自宅にたどり着け、子どもともすぐに会えて心底よかったと思いました。
前職も同業ということで、仕事内容に戸惑いはなかったですか?
それが、思っていたのとは全然違いました(笑)。前職では下水道の設計に携わっていましたが、配属されたのは鉄道グループ。戸惑う私に、20歳くらい年下の先輩が一から仕事を教えてくれました。私が、ある計算が不得意だとわかると、エクセルで計算式までつくってくれて。また、図面を提出すると「この判断の根拠は?」と問い続けられました。当時は、問いかけの価値をそこまで理解していませんでしたが、常に考えさせられたことで根拠のない判断はしなくなりましたし、自分の判断を人に説明できるようにもなり、その後の仕事にとても役立ちました。
現在は道路上下水道グループへ異動されていますが、仕事の幅を拡げられた秘訣があれば教えてください。
頼まれた仕事を断らなかったことだと思います。私自身は新しいことを覚えて、みんなで一緒になにかをつくりあげることがとにかく楽しかったんです。だから、周囲の助けを受けながら、常に新しいことに挑戦することができました。メトロ設計以前に勤めた会社でも、そのスタンスは変わらなかった。おかげで、水道の設計という天職に出会えたんだと思います。
立花 智子
水道の設計という仕事が、天職だと感じられたのはどんなときでしたか?
真っ白な紙を前にして、感じたことがないほどワクワクしたときでした。設計のステップは、何も書いてない空間に水道の施工に必要な「管割図」という図面を書いていくことです。自分が0からつくりあげられる気がするからかな……とにかく、この仕事が好きだと感じます。
体調不良でお休みをされた後、復帰しようと思われた理由は他にありますか?
私の置かれた状況を同僚が理解してくれたこと、「自分のペースを大事に、よくなったら戻ってきてほしい」と社長や上長に言ってもらったことは大きかったです。当社は決して規模の大きな会社ではないので、一人にかかる責任は重い。なのに、この先復帰できるかわからなかったし、体調は日々変化します。「自分から退職を申し出るべきか」と思い悩んでいたので、温かい言葉に救われました。男性が多い業界ながら、理解を示していただけてありがたかったです。
体調と相談しながらですが、この先取り組んでみたいことはありますか?
これからもプレーヤーとして設計に関わりたいですが、若手社員のサポートに回りたいという気持ちも湧いてきました。私自身、若者の柔軟な発想に刺激を受けることもありますし、その柔軟さを活かしたまま、新しい仕事ができるようになるよろこびを伝えたいんです。
私が今も仕事を続けられているのは恵まれた人間関係のおかげですし、一人ひとりの状況に合わせた働き方を認めてくれた会社のおかげ。次の世代にもお互いが助け合える関係性を残し、いい仕事を続けられる環境を整えたいと思います。

立花 智子

暮らしに密着した社会資本を整備する、専門家集団です。
わたしたちは60年に渡り、社会資本の施工事業者のパートナーとして現地調査・計画・設計等に専心してまいりました。
長年の知識を生かしたマネジメントで、住民の方と施工事業者との架け橋となるような、建設コンサルタントを目指しています。
無電柱化や電線共同溝、道路、上下水道、地下鉄など、地下インフラの整備は弊社へお任せください。どうぞお気軽にご相談くださいませ。